新井将敬の死の不可解

1998年2月19日午後12時過ぎに、日興證券とのあいだの不正取引で、その日逮捕の予定であった新井将敬代議士が「自殺」した。「自殺」とカッコの中に書いたのは、きわめて不可解な点がいくつもあるからだ。

新聞の報道によると、新井氏の自殺の発見者は、新井夫人ということになっている。外出して、午後1時5分にホテルの部屋に帰ってくると、通気口から浴衣の帯を使って首をつっていたという。なんで、逮捕予定の日に限ってホテルなのかもちと不思議だが、それはまあ良い。問題は、発見から2時間15分も警察に連絡がなされず(警察への連絡は3時20分)、現場の保全も行われなかったということである。あれだけ多弁な人が、遺書を残さなかったということからも、この空白の時間に疑問が残る。

なぜそんなに時間が必要だったのか?

彼の死は病死でも事故死でもないから、可能性は他殺と自殺にある。他殺の場合、証拠を隠滅する必要があるから、結構な時間が必要であろう。空白の2時間15分も納得できる。一方、自殺の場合、本来ならば即座に警察に連絡してもよさそうなものだ。もし時間を空ける必要があるとすれば、現場に、警察に見られてはまずいものがあった、あるいは、ある可能性があったと考えるのが普通だろう。この「みられてまずいもの」とは何か?それは、他の議員の不正を糾弾する文書であろう。

あれだけ多弁な人が、自殺という覚悟の死(前日の記者会見で「最後の」を連発していた)を選んだとすれば、遺書をまったく残さないというのはほとんど考えられない。と、すれば、その遺書は始末されたか、あるいは、彼は死ぬ気はなかったのに消されたかのどちらかと考えるのが至極自然なように思える。

新井将敬は道半ばにして死んだ。これで、この件についての捜査はほとんど終了すると言われている。しかし、それはその死を無駄にすることに他ならない。徹底した捜査が望まれるところである。


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