自由、平等、友愛[1](Liberté, Égalité, Fraternité)というと、フランス革命のキャッチフレーズで、第三共和政(1870〜)の頃から公式な標語となったものだが、公式になる前の1862年に書かれたレ・ミゼラブルの中で、革命家アンジョーラが鎮圧殺戮される直前にバリケードのなかでする演説がかっこいいのでちょっとメモ。
政治的見地よりすれば、ただ一つの原則あるのみだーすなわち人間が自らおのれの上に有する主権である。この自己に対する自己の主権を自由という。この主権の二個もしくは数個が結合するところに国家がはじまる。しかしその結合のうちには何ら権利の減殺はない。個々の主権がその多少の量を譲歩するのは、ただ共同的権利を造らんがためである。その量は各人皆同等である。各人が万人に対してなすこの譲歩の同一を、平等と言う。共同的権利とは、各人の権利の上に光り輝く万人の保護にほかならない。各人に対するこの万人の保護を、友愛という。互いに結合するあらゆる主権の交差点を、社会と いう。その交差は一つの接合であって、その交差点は一つの結び目である。かくて社会的関係が生じてくる。ある者はそれを社会的契約という。しかし両者は同 一のものである、契約なる語はその語原上より言っても関係という観念で作られたものである。
(青空文庫をもとに一部原語により近く改訳)
この後に、平等の概念は結果平等ではないこと(上記よりも明らかだが)が更に説明され、平等の具体策として教育の機会の平等が述べられる。
ちなみに、フランス語の原文は韻も踏んでいて超かっこいい。
Au point de vue politique, il n’y a qu’un seul principe—la souveraineté de l’homme sur lui-même. Cette souveraineté de moi sur moi s’appelle Liberté. Là où deux ou plusieurs de ces souverainetés s’associent commence l’État. Mais dans cette association il n’y a nulle abdication. Chaque souveraineté concède une certaine quantité d’elle-même pour former le droit commun. Cette quantité est la même pour tous. Cette identité de concession que chacun fait à tous s’appelle Égalité. Le droit commun n’est pas autre chose que la protection de tous rayonnant sur le droit de chacun. Cette protection de tous sur chacun s’appelle Fraternité. Le point d’intersection de toutes ces souverainetés qui s’agrègent s’appelle Société. Cette intersection étant une jonction, ce point est un nœud. De là ce qu’on appelle le lien social. Quelques-uns disent contrat social, ce qui est la même chose, le mot contrat étant étymologiquement formé avec l’idée de lien. (Victor Hugo, Les Misérables Tome V Chapitre V)
現実の政策や法を考える際も、こうした理念をきっちり持って、その上で行われるべきだと思う。理念を持たない政策や法は、その時は良くても後々いろいろな課題を生む。日本はこうした理念を比較的軽視しがちだと思う。青臭いとか言わずに、もう少しちゃんと理念と向き合うべきなのではないだろうか。
[1] 日本では「博愛」と訳されることも多いが、ラテン語の frater (兄弟)に語源を持つ語なので、本来は「兄弟愛」、せめて「友愛」と訳すのが適当であろう。
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