前回は、インターネットとあまねく広く使われる番号(汎用識別子)制度を組み合わせると、「だれでもジャヴェル警視状態」になってしまい、結果的に「無情社会」を産んでしまう可能性があることを論じた。今回はそれに加えて、もう一つのインターネットの特性「断片的な情報」と「汎用識別子」の組み合わせの脅威を、これもまた「レ・ミゼラブル」を利用して解説する。(この項の初出は gihyo.jp の 2011年新春企画である。)
断片的な情報の脅威
さて、ここにもう一人の主要人物にご登場願おう。ジャン・ヴァルジャンの「娘」であるコゼットの夫となるマリウスだ。マリウスとコゼットが結婚した後、ジャン・ヴァルジャンは、実は自分はコゼットの親ではなく育てただけで、しかも自分は元徒刑囚であることを打ち明ける。その結果、ジャン・ヴァルジャンはマリウスに打ち捨てられる。そして、マリウスはコゼットの持参金の出所にも疑いを持ち、それを調べ始める。もちろん、断片的な情報しか手に入らない。が、それらをつなぎあわせて彼はある「事実」を手にする。それは以下のようなものであった。
- 財産は、昔微罪を犯したが更生し、ビジネスで大成功し、病院を建て学校を開き、病人を見舞い、孤児を引きとって育てるなど、その地方の守り神となり、市長にまでなったマドレーヌ氏のものであった。
- ところが、ジャン・ヴァルジャンはマドレーヌ氏の旧悪の秘密を知っていて、その人を告発し捕縛させ、その捕縛に乗じてマドレーヌ氏のものである50万フラン以上の金を引き出した。この引き出し事件は、銀行員から直接聞いているので確かだ。
- さらに、ジャン・ヴァルジャンは私怨によって、ジャヴェル警視もピストルで殺害した。これは、自分がピストルの音を聞いているので確かだ。
もちろん事実は違う。マドレーヌ氏=ジャン・ヴァルジャンだから、ジャン・ヴァルジャンはマドレーヌ氏の財産を奪ったわけではないし、ジャヴェル警視も殺害されそうになっていたところを、ジャン・ヴァルジャンの機転によって命を救われている。しかし、マリウスの集めた断片的な「事実」では、真実とはまるで異なる結果しか出てこなかったわけだ。
再び、賢明な読者はもうお気づきだろう。調べたときに断片的な「事実」が出てくるというのもまたインターネットの特徴なのである。真実とはすべての事実の総体であり、部分的に抜き出すと、真実とはかけ離れたものになることは少なくない。インターネットは常にその危険性をはらんでいる。
「ああ無情」では、これらの「間違い」は、ジャン・ヴァルジャンが若い金持ちそうな青年を殺害したと告発しに来たテナルディエによって明らかにされる。その上、「殺害された青年」はマリウス自身であり、ジャン・ヴァルジャンはマリウスを命がけで救助していたのだということが、マリウスがとってあった上着と、テナルディエが殺人の証拠として持ってきた切れ端が符合することによって完全に証明されてしまう。ここに至り、ようやくジャン・ヴァルジャンはすべての名誉を回復する。マリウスはコゼットを連れて馬車を駆り、ジャン・ヴァルジャンのもとに駆けつける。が、ジャン・ヴァルジャンは、コゼットに会えなくなった落胆から、無情にも臨終の時を迎えていた…。
極度の闇、極度の曙[1]
このことが示唆することはもはや明らかであろう。物語は物語らしく、偶然にも真実を伝える使者が、テナルディエという変装した悪魔の姿形をして現れ曙をもたらした。しかし、現実では、そんな都合のよいことは期待できない。
であれば、無情社会を産まないためには、必要に応じてすべての事実を明らかにし、名誉回復する手段を備えなければならない。現在のインターネットはこれを欠いている。
こうした名誉回復の手段や、名寄せの被害を抑える仕組みなどは、技術的手段だけでは実現できないし、制度的な手段や、人々の教育を通じた社会的な手段だけでも実現できない。技術・制度・教育がそれぞれ手を携えて、バランスよく進めることのみで実現できる。そうすることによってのみ、皆が安心して便利に使える環境が手に入るのである。
2011年は日本では「国民ID制度」が、アメリカではNS-TIC(信頼できるサイバースペース上のアイデンティティに関する国家戦略)が大きな進展を見せそうである。これらの制度が、技術・制度・教育の対策をバランスよく進め、われわれに曙をもたらしてくれることを祈念してやまない。
[1] レ・ミゼラブルの最終章のタイトルは「極度の闇、極度の曙」である。レ・ミゼラブルでは、曙を迎えて物語は終わる。われわれも社会を「闇」の中に取り残さないようにしなければならない。
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