ふと気がつくと、父が亡くなって14年にもなる。おそらくこれらの歌を書いたときの父は、私よりもずっと若かっただろう。
「未来」物故歌人アンソロジー(9)
古明地 実・抄出
秋村 功 1990年7月4日没。享年五七歳。我妻泰の
「未来手帖」のあとを継ぎ、頭の良い洗練された
文章を記していた。田舎物の私には遠い
人であった。その我妻泰と『河』を編む。寄り合える樹々よりは水気立つ如く冷えびえし夕べ晴れてゆく空
こめかみの痺れつつ仕事追え帰るプールなまなまと匂う夜にしてわが血の匂いに甘え寄る猫を飯食う間いくたびも追う
掌(て)にささげみどり吹く百合の球二つ
不思議なほど思慕の息(や)むひと時に重ね合う剛き葉のかげいちじくにつきいる虫を宵毎つぶす
冬枯れのまま伐られゆく林にて午過ぎの雨凍りつつ降る
支線また岐るる駅に友去りて海岸線に汽車は久しき
貧しさを自負する言葉に乱れゆくその卑しさも耐えゆかんとす
一人のみのことは一人し処し来つつ自負も持ち得んそのかぎりのみ
いつしかに心惹かれて来しことのいまいましかれど事実は事実なり
見張られて焼き捨てし二千の本のこと炎と顕ちて見ゆというはや
追われつつ名を秘し書きつぎし論文集一つ残して教授は去りぬ
もの云わず机立ちゆきし少年の今屋上にはとを呼びおり
叱る技巧知らねば心抑え来てわが表情のものぐらきとぞ
わが知らぬ古露史ルスカヤ・プラウダと心注ぎき病むその日日に
1992「未来」3月号
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現代短歌大辞典によると、
が代表歌らしい。確かに不思議な魅力がある歌だ。
個人的には、「寄り合える」や「支線また」が好きだ。